よく親が自分の子に対して、成功体験を褒める上でエライ!エライ!って言うことがあると思うんです。
僕はこの言葉は子供の才能を伸ばす上で必要な言葉だと思っていました。
でも、最近...違和感なんですよね?
それは、どういう事かと言うと。エライって、自分の思い通りに動いているから言う言葉なのかな?って思い始めたからなんです。
これって、どの世界でも一緒で。例えば、悪い集団の一員が悪いことでお金を稼いだとしても悪い集団は、エライって言うと思うんです。
これって、この世界のエライは他人評価に依存しているってことですよね?
だって、自分のことを自分でエライなんて言ったら。それは、ただの自己満足と捉えられてしまうから。
だから、僕思ったんんです。
僕はどんな生き方をしてもどの道を選ぼうが、人からエライなんて言われない世界で生きたいと。
だって、人の評価なんて。人それぞれだし、いちいち周りの評価を伺う自分に飽きたんです。
僕は、誰にどう思われても良い。
僕がエラかろうと悪かろうと、勝手に評価してくれって。
僕は馬鹿だし、無能だし。仕事も出来ないけど・・・
これだけは言える。
自分は頑張ってるって!それは、いつも頑張ってる訳じゃないですよ。
手を抜く時もある。黒に近いグレーゾーンを歩んでしまう時もある。もしかしたら、黒の道を歩んだこともあるかも知れない。
でも、僕は僕の人生を一生懸命生きている。
そこに、他人評価なんて要らないし。エライなんて思われなくても良い。
僕は僕の納得いく人生を歩んでいるし、放っておいて欲しい。
エライなんて都合良く褒めて、僕の道を勝手に作らないで欲しい。
僕の未来は、自分の手で暗中模索の状態で自分で切り開いていく。
そうじゃないと、人生の意味がないと思う。
人生は自分のやりたいことを見つける旅だと思う。
親に反対されようとも友だちに止められようとも、自分の信じた道を歩きたい。
そして、過去を振り返った時に。自分で自分を褒められるような生き方をしたい。
だって、本当にエライのは。自分の道を信じて生きた自分の姿勢なんだから。
努力って、やりたくもないことを一生懸命することじゃなくて、夢中になる程(時間を忘れる程)好きなことをどんなに苦しくても一生懸命することだと思うから。
エライ=努力だとは思わないけど、皆さんはエラくならないで良いので。
自分が自分らしく居られる道中であってください。
そして、自分の信じた道を信じ抜いてください。
それが、いつか。あなたの行きたい場所に連れて行ってあげられるはずです。
未来は真っ暗で何も見えません。でも、あなたの最終地点は遠くであなたを照らしてくれるはずだから。