AIについて
やってらんない。
僕はライターになりたかったけど、ここまでAIが発達してくると人が勝てる訳ない。
先ずは、情報量が規格外過ぎる。
ほぼ全てだ。
僕が芥川龍之介や夏目漱石、太宰治より素晴らしい作品が作れないのに…AIはそれすらも超えていく。
作成時間だって、人が一年や二年を掛けて作る作品をほぼ一瞬で作成してくる。
しかも、自己学習付き。
この間、流れてきたニュースによるところ…漫画部門、小説部門で大賞を獲得した作品が軸はAIが作成した作品らしい。
審査員はAIが作った作品を規制している。
でもね、僕は思う。
AIが作ろうと人が作ろうと素晴らしい作品はやっぱり素晴らしいのではないかと。
意外だったのはAIは絵すら描けるみたいだ!
見たら芸術的に素晴らしかった。
これってもう人が勝てないよね。
僕の予想では芸術の分野にまでAIは手を伸ばしてこれないと思ってた。しかし、現実は違った。
アインシュタインは言ってたらしいよ!
AIロボットは核ミサイル以上の脅威だって。
いつか人間はAIに飼われる日がくるんだろうな。
ミイラ取りがミイラになるじゃないけど、人が作った物に人が飼われたら何がしたかったのってなるよな?
と言うよりも、既に人間はAIに飼われているんだと思う。
グーグルの検索でも今やAIが教えてくれてるよ。
話を戻すが、僕はライターになりたかった。既に過去形になってるのは悲しいことだが…もうなれないだろうな。だって、AIに勝てる訳ないんだもん。天才と言われているシェイクスピアだって学習してるんだよ。無理だよ。自分の人生語ること以外は…
唯一、人がAIに勝てる分野は心なんだろうな。
これ負けたら、もう人間で居る意味もなくなるんだろうな。
これからどんどんAIが進歩して人間の居場所がなくなるんだろうな。
神が作った人が神を超えたように、人が作ったAIが人を越えたんだなっ。
使ってるんだか使われてるんだか。
結論!やってられない!!!
夢の中の私は超絶美女
私は15歳!高校1年生だ!身長は162センチ、体重は秘密!
これは私の中の物語!
私には好きな人が居る。その子とは幼馴染で小学校も中学校も高校まで同じ!まるで神様が私たちに付き合って欲しいみたいだ!
私は超ポジティブで周りに何を言われても気にしない。今日は好きな子と登下校一緒にしたんだ!いつか私の彼氏にならないかなぁ。
寝る時にいつも思い出す。彼と今まで一緒に居た思い出を…
あれ?ここどこ?あれは彼?
ハッ!!最近いつも同じ夢を見る。不思議なことだけど、夢の中まで彼と会えるのは正直嬉しい!
今日も彼と登下校!!私の日課であり至福の時だ!彼は超絶優しくて顔も私のもろタイプ!つまり、理想の彼だ!私はいつでも彼が私に告白されてもいいようにいつでも準備は完了だ!仮におトイレ直後でもいつでも抜かりはない。今日は彼に告白された!好きな人が出来たって…
私はえっ?と反応し、待ちに待った時が来たかと心を踊らせた!えっ?めぐみちゃん!?えっ!?私じゃないの!?
めぐみちゃんとは私と彼のクラスの隣1年3組の女の子だ。なんでめぐみちゃん?彼はそっと私に言った。あの子めっちゃ性格いいんだよね!そこに惚れた!彼はすんなり言い切ったが私は納得いかない。なんでよ?私の方が可愛いし性格だっていいじゃん?彼は何も言わずに立ち尽くしているので私は痺れを切らし…私にしなよっ!!って言ったの?そしたらさ…
お前自分の姿、鏡で見たことある?って言ってきたの!?見た事ある!てかいつも自分のこと鏡で見てるよ!!彼は何も言えなくなってるみたいだ。私にしなよっ!あなたのことを一番知ってるのは私だよ!私のことを一番知ってるのもあなただよっ!もう勘弁してくれっ!俺はお前の気持ちも全部分かってるんだよ!もういい加減にしてくれっ!彼は私の元をそう言って去って行った。私は何が起こったのかも分からずにその場に立ち尽くした。彼が遠い存在になってしまう気がして怖かった。
まただ。ここはどこだ?あっ、彼だ!やっぱり私を選んでくれたんだ!ずっとこんな感じで居たいなぁ。ハッ!!また夢か。気付くと保健室のベッドの上に居た。私は保健室に運ばれたらしい。運んでくれたのは隣のクラスのすぐるくん。すぐるくんは私の傍にずっと一緒に居てくれて看病をしてくれていた。彼ほどではないけど…彼は物凄く優しい!ただ、見た目がね。少なくとも私のタイプではない。だって太ってるんだもん。よくここまで太れるねってくらい。見た目重視だって!違うよ!見た目も大切ってこと!彼は心配そうに私を見つめていた。あれ?
この子どこかで見たことある?いや、隣のクラスなんだから…同じ学年なんだから当然か!私はそんな風に感じたことを忘れていた。
すぐるくん!!もういいよ?私は大丈夫だから!でも!!すぐるくんは何か言おうとしたが、あなたがそう言うならと保健室を出ていった。
自己中心的
あなたは自己中心的な人に出会ったことはありますか?
僕が小学生の頃、あいつは自己中だ!って言われている子が居ました。でも、僕はその人のことを自己中心的だとは思わなかったんですよね。自己中だと言ってた子たちも人間なんて皆自己中だし自分が中心で世界が回っているのだから、それが当たり前だと気付いてその人は自己中と言われなくなりました。
だから、僕もその考え方が妙にしっくりきていたので人の自己中心的な態度は致し方ないことなんだと思ってその後の人生を生きてきました。
だけど、居たんです。自己中心的な人が…
僕がその人を自己中心的だと感じた理由は他人(ひと)に迷惑を掛けるタイプの人だったからです。
最初はこんな人も居るんだ!と驚きと共に感じていましたが、今までの経緯があるので特段気にしていませんでした。
でも、気付いたんです。自己中心的な人は他人ではなく一番近い人順でその本懐を発揮してくるということが…
自分を中心に世界が回っているのだから、それは自己中心的ではないと言いましたが…真の自己中心的な人はその概念すらないんです。
自分のことを中心に考えている。(自分の利益追求ばかりする)ではなく、本当に自分のことしか考えられないんです。
相談に乗ってあげてもそれが当たり前。奢ってあげても当然かのように。人の言葉も通じないから人の言葉を自分の都合の良いように解釈。ここ良くしたらもっと人間的な魅力が上がるよって言葉に対して、こっちはあなたのそういう所が嫌って遠回しに言ってるのに…ここを直せば人間的な魅力が上がるんだから女の子にモテるようになる!みたいなね。僕がいつどこでそんなことを言った?と思ってしまうような。
何が腹立つってそういう人って基本的な能力が低いのに自己肯定感が爆上がりなんですよ。だから、こっちが気を使っているから上手くいっている関係なのに…俺と居れてあなたは幸せだねってなんの躊躇もなく言ってくる。相談に乗ってあげているのはこっちなのに、俺があなたに話してあげているって勘違い。
だから、その時に本当に自己中心的と呼ばれる人種はこういう人なんだなぁと感じましたね。
だから、そういう人は前述したように自分に近い人からターゲットにしてくるからそういう自己中心的な人が苦手な人は関わってはいけないんだと思いました。
かと言う僕もその子とは距離を置くようにして徐々にフェイドアウトしましたね。何回か縁を切ったりまた繋がったりしていたのですが、その期間が半年間くらいあった時があって…もう良い年だから成長して変わってくれたかなと思って、また付き合い始めたことがありますが全く変わっていなかったです。
そういう人って、きっと小学生や中学生で成長が止まっているんですよね。だから、大人になってもその感覚だから成長が臨めない人なんだなぁとつくづく思いました。
その子はそういう性格だから、やはり友だちも居ないみたいで電話がよく掛かって来ました。毎日、4時間くらい付き合ってあげて…俺は話が下手だから話振ってと頼まれたので話を振ってあげていました。しかし、僕にも限界があります。毎日、4時間も電話に付き合わせられたら僕の時間がなくなります。その頃にアルバイトが決まったのでこのタイミングでその子との関係を切るしかないと思ったのでアルバイトが決まったことは伝えずにその子との対話の時間を減らしました。その頃には遊ぶ頻度も減らしていたので会う約束は避けました。ただ、黙ってその子の前から消えるのはやめようと思った為…その子はその時に僕しか友だち居なかったので、その子の今後の為に今まで気を使っていたことや電話の時間は考えた方が良いことを伝えました。しかし、その子の口から出たのは…電話については俺じゃなくてあなたが話し過ぎなんだよ。だから、話が長くなるんだよ!でした。
その時初めて世の中にはどう頑張っても分かり合えない人が居ることを知ったのと世の中には関わってはいけない人が居るということでした。
最初は僕の時間返してよ!とか思いましたが、怪我の功名というべきかここまでしたから分かったことだったんだなぁと自分を納得させました。
世の中には自己中心的な人がまだまだ溢れていると思います。
そういう人が好きな人やそういう人と仲良くなりたいひとはなってください!一般的な考え方を理解出来る被害者が減りますので…ただ、自分を大切にしたり自分のことを大切にしてくれる人と一緒に居たい人はそういう人と関わらない方が良いです。大切なお金と時間、人生のチャンスすら失います。
僕はその子のおかげでそれを教わりました。結論としては、そういう自己中心的な人とは二度と付き合いたくないと思ったことです。
あなたは自己中心的な人に出会ったことはありますか?
いじめは悪いこと
中学生の時。いじめを受けて登校拒否をした知り合いが居ます。
僕はその人と仲が良かった訳じゃありませんが、その人と仲が良い人の親友だった為よく遊んでいました。
いじめの内容は控えますがそれなりのことをされていたみたいです。
学校問題までなってしまって、いじめをしていた子は転校することで落ち着いたようです。
僕はその後、いじめを受けていた子にアルバイトを紹介され一緒に働いていました。勿論、その人の親友である僕とも仲が良かった人と一緒に…
そのいじめを受けていた人は人付き合いが上手くなっていて皆にあの子くらい気使いが出来たらどこでも上手く人と付き合っていけるよと言われていました。でも、僕の仲に違和感が拭い切れませんでした。
その後に僕は思ったし感じたことは…そのいじめを受けていた子が自分の為に人間関係を維持してるなってことでした。
その子からしたら、いじめを受けてきた教訓だったのかも知れません。でも、やってることは自分のことしか考えていませんでした。
だって、僕はその子と中学三年生の頃に一緒のクラスで担任の先生から手紙を届けてくれと頼まれて毎日届けていました。お礼を言われたことはその子の親も含め一度もありませんでした。余計なお世話振りな感じを受けていましたね。
僕は中学生の時、卓球部だったのですが…担任の先生がその子を気遣って一緒に卓球をしようと企画してくれました。終わった頃に僕はその先生にお礼を言いました。しかし、その子が先生にお礼を言わなかったのでお礼を言ってと伝えたところ…その子の口からはなんで?と勝手に企画したんでしょう?と。
以上のことから、僕はいじめはいじめる方が100%悪いです。しかし、いじめられる人にも原因があるんじゃないかと思いました。確かに僕はその子がいじめを受けるようになった経緯を知りません。でも、その時はそう感じたんですよね。
僕はその事があるまではいじめをしている人=悪い人。←勿論、悪いです。いじめを受けている人=良い人だと思っていたのですが…見事に覆されましたよね。
僕はそのいじめを受けていた子が嫌いです。自分のことしか考えてないし、その子から嫌がらせを受けたこともあります。
だから、いじめを受けている人を擁護する方が居ますが疑問を感じます。正直、正義感振った偽善者にしか見えません。先程も述べたようにいじめはいじめをする方が悪いです。しかし、いじめを受ける人にも原因があるのだから…いじめをする側ばかり注意してもいじめは減らないと思います。厳しいことを言うようですが、いじめをする側は確かないじめの理由がないことが殆どだと思います。だからこそ、いじめを受ける側が是正していかなければいじめは減らないと思います。いつまでも被害者面をするのは辞めた方が良いと思います。
僕もいじめを受けたことがありますが、そのいじめをしていた人とは仲良くなりましたよ。
いじめを受けている人はせめて一度は反抗すること!窮鼠猫を噛むじゃないですけど、一回噛み付けばそれが相手を敬遠することに繋がるんですよ。
偉そうに聞こえるかも知れませんが、逃げてしまったらまた同じ場所に戻るのはかなり難しくなります。実際にその知り合いはそのいじめをしていた人の名前を出すだけで怯えていました。勿論、わざと名前を出した訳じゃないですよ。話の流れでもう吹っ切ったと思っていたので名前を出しました。だから、いじめがなくなった=いじめを乗り越えたにはならないんです。
だけれども、逃げちゃ駄目だと言いたい訳じゃない。いじめを受けて自殺してしまうくらいならトラウマになったとしても逃げた方が絶対良い!
でも、そういう人って歳を取った時にまるで武勇伝のように俺は昔いじめられていたって言うと思うんですよね。逃げただけなのに…乗り越えた訳じゃないのに…
だから、僕はそうなりたくないから乗り越える選択をしました。
いじめはいじめを受ける側が変わらない限り減りません。だからこそ、自分と向き合ってください。
あなたは100%悪くないですか?
GW
今年は飛び石GWだぁ。
旅行行く人にとっては不都合だよね〜。
僕は休暇を楽しんでいます。たまには、これくらいの大型連休欲しいよね〜。
最近、あるアプリで相談ルーム開いてるんだけど…不評の不評で。
多分、僕が自分の意見を言うようになったからだと思う。僕がラフな感じでいるのが原因。
でも、良いんだぁ!これが僕だから!
前の僕は人にめっちゃ気を使ってたけど、今は楽で良い。これが自分だし自分の存在なんだろうなぁ!
自分主体の人生って良いよなぁ!自己表現がやっと出来るようになった!
進歩だ。進歩だ。
まぁ、後少しの休暇を楽しもう!
それでは!!!
優しさの種類
同じ物でも色んな種類やメーカーがある。それは、一つずつ違く全く別の物である。
これと一緒で人の優しさにも種類がある。誰にでも平等に優しくする人。冷たいように見えるがその人の為に敢えて厳しくする人。
ただ、世の中には全く優しさの欠片すらない人も居るのが事実だ。
現にカンダタだって生涯見せた優しさが蜘蛛を一匹助けた?くらいだ。助けた?と言うのはそれはカンダタが見逃しただけだからだ。この行いだけでカンダタの死後、地獄に蜘蛛の糸を垂らしてあげた仏がなんとも寛容深い。そのくらいのこと、人生で地獄に落ちた人たちも一度はやっていると考えられるので皆に救いの手を差し伸べるべきだ!カンダタにやるならね。
世の中にはカンダタのような人は実際に存在する。この世は地獄なのだから…ある人の話じゃ、天国はスカスカらしい。(死んだ人が居なくて)
僕が何を言いたいかと言うと、人生なんて自分本位で良いんだ!他人(ひと)の目なんて気にするなっ!!!他人に冷たくされるのがデフォルトだと思えっ!そう思って生きた方が楽だから。
世の中色んな人が居るけど、自分の人生を歩けるのは自分しか居ないんだから!だから、他人と比べるなっ!あなたは誰かになれないし、誰かもあなたになれない。それが個性でしょ!
地獄みたいな世界に生まれてきて気の毒に思うけど、この世界にも天国はあるから!楽園はあるから!それを探すのが人生だろっ!
自分の居たいと思える場所や人に対しての居場所を見つける。それを見つける為に毎日必死で生きてるんだろっ!いつか見つかるよ!その居場所に辿り着くよ!そう思わないと生きてなんていけないだろ。だから、夢や希望を捨てないで。それは諦めちゃう時もあるよ。でもね、諦めても…また立ち上がったら良いんだよ。人生は死ぬまで続いていく…でもね、人生は後ろに戻ることは出来ないんだから。前に進めない時は立ち止まったっていい。一回立ち止まって人生の道を確認することも大切だ。だから、しゃがみ込んじゃう時もあると思うけど。そんな時は空を見上げて!きっとお日様はあなたを見続けてくれてるから!太陽の存在を感じられるから!
あなたにはそんな太陽みたいな存在の人を見つけて欲しい。
いつか出会うよ!だって、太陽は地球よりも遥か昔から存在して46億年も地球を照らし続けているのだから。
いつもあなたのことを照らしてくれる誰かがきっと居るよ。それは出会ってなかったとしても…あなたの太陽はあなたの過去すら明るく照らしてくれるよ!
だから、人生諦めても良い。でも、信じて!いつか心から笑える時が来るって…
言葉の力
皆さんもあるかと思うんですけど、人間誰しも心に残る言葉ってあると思うんですよ。
その言葉が励みになっている方も居たら、その言葉が人生を変えてくれたみたいな…
もしかしたら、その言葉に救われた方なんかも居ると思う。
ただ、僕が思うのは…その言葉に救われたって感覚よりもその言葉を言ってくれた人に救われたと感じる。
私事(わたくしごと)になるのですが、ある人が居て…確かにまともなことを言ってるし言いたいことも分かる。けど、どんなに綺麗な言葉を言おうとどんなに良いことを言おうと。
あなたがそれを言うのって人に言われても心に響かないと感じました。
だって例えば、愛してない人から愛してるなんて言われても嬉しくないどころか、不快に思うかも知れない。
言葉っていうのは、場所や状況、誰に言われたかでその価値が大きく変わっていくと思う。
だから、言葉も人と一緒で生き物なんですよ。
生きているからこそ、その時に相応しい(ふさわしい)言葉がある。
だからこそ、その時に誰に何を言われるかが言葉の価値として…その人の心に残ると思うんです。
また、名言なんてあるけど…
これも時代と共に(ともに)変わってくる。
昔、流行った(はやった)言葉を今言っても響かないこともあるし。その逆も然り(しかり)。
話、逸れる(それる)んですけど…言葉は癒し(いやし)にもなれば、凶器(きょうき)にもなるって言われる。
人間は言葉を扱えるからこそ、自分との対話も出来るんだと思う。
これを語源化って言うらしいんですけど、言葉は人と話す道具だけではなく…自分の心を整理する為にも使う。
だからこそ、色んな言葉を覚えた方が良い!
日本人だったら日本語。でも、日本語だけでは表現出来ない言葉がある。
もしかしたら、他の国の言葉で自分の気持ちを表してくれる言葉があるかも知れない。
それが言葉を覚えるメリットだと思う。
この世界にはいくら話し合っても分かり合えない人が居る。
同じ言語を話し合っているのにも係わらず(かかわらず)分かり合えない人が居る。
ウクライナとロシア。
ゼレンスキーさんとプーチンさん。
戦争止めないですよね。てか、もう止まれないところまで来てますよね?
確かに使用している言語が違うのですが、お互い相手の言っている意味は分かっているはずです。
でも、会話じゃどうしようもないことところまで来てるんです。
戦争って、正義対悪じゃなくて…正義対正義なんです。
でも、僕は話し合いで解決するんじゃないかって思ってるんです。
譲る(ゆずる)ところは譲る。
何よりも大切なのは人命(じんめい)なんですよ。
人一人には帰りを待つ人が居るんです。
必要なものは非難ではなく弁護。
この戦争はウクライナ対ロシアではなく、世界情勢で起こっている問題なんですよ。
簡単ですよ!俺には関係ないなんて…
でも、人は自分のことになると必死なんですよ。
誰かのせいにする人も多い。
だからこそ、対岸の火事ではなく。隣の火事に騒ぐものなしの精神でやっていかないといけない。
人類皆兄弟って言葉もあるように、いつ自分に降り掛かってくるか分からない。
だから、それには言葉が必要なんですよ。
日本語だけしか話せないなら日本語で話したら良い!
言葉とは心を表現する最も簡略(かんりゃく)出来る手段なんです。
だから、あなたはあなたの言葉に責任を持たないといけないし。あなたは言葉を通したら受け取ってくれる人が居るんです。
人の気持ちが分からない人も居るけど、分かり合えない人も居るけど。それも含めて言葉なんだと思う。
話し合えないなら殺せば良いとかじゃなくて、話し合えないなら距離を置いたら良い。
この世界には分かり合えない人は居る。
だから、一番分かりやすいところの戦争がある。
戦争には言葉は不要だ。悲鳴(ひめい)しかないのだから。
でも、その人一人一人に人生がある。
あなたがもし戦争が起こる国に居たとしたら、言葉が通じる時に発しよう。
言葉は心を持つ世界にしか生きられないのだから。