死刑について

今月16日に横浜地裁で極刑を言い渡された植松聖被告について。僕の見解を話したいと思います。

植松被告の時間と金を奪う重度障害者に基本的人権はない。だからと言って殺していい訳ではないし、日本国憲法で全ての国民に基本的人権を認める記載があるので的確な言葉ではないと思う。時間とお金を奪うと植松被告は語っているが、そもそも時間とお金は個人のみで所有している訳ではないと思うので奪いようがない。だからこの場合、重度障害者の方のお世話をしてくれている人の時間を考慮出来ていない。また、重度障害者の方には多額の税金が投入されているのにも係わらず有効的に使えていないという事を言いたいのではないか。だからこそ、基本的人権について深く考えた方が良いという警告にも思えてくる。

基本的人権の一節に身分によって差別されないとある。この記載に疑問を感じるのは僕だけだろうか。身分によって区別してるよね?重度障害者の方の人権は尊重されるべきです。しかしながら、この方たちは社会に対して生産性があるかと聞かれたら素直に頷く事は僕は出来ません。ある本の中に老人に対する記載がありました。社会的に優先されて当然、優先されるべきと考えている方があまりにも多すぎると。障害者の方にも同じ事が言えるのではないでしょうか?

自分より立場の弱い方を守る事は日本の素晴らしい文化だと思います。気遣いですね。その心遣いを無下にする方はいらっしゃると思います。しかし、気遣いを忘れてしまったら人に生まれた意味がなくなってしまいます。人間は知能が高いから人の気持ち、自分以外の者の気持ちを察する事が出来ます。それが出来ない方も確かに存在します。ただ、だからと言ってその方たちを弾圧してしまったら。弾圧する事を許してしまったらナチスドイツの再来ですよ。人にはそれぞれ役割があって生きてる価値のない人間なんていないんですよ。だから、お互いを尊重出来る世の中をつくっていきましょう。腹立つ事もありますよ。腹立てられる事もあるでしょう。でも、皆必要なんですよ。他人に興味持つ事は良い事だと思います。人は1人では生きていけないので。人から学ぶ事もあるでしょうから。しかし、否定から入るのではなく肯定から入ってみてください。悪い所ばかり目がいってしまいますが、良い所も探してみてください。

今回の事件は大変痛ましい事件です。だからこそ、私たちはここから学ばなくてはなりません。罪を憎んで人を憎まず。