結論から言います。
親孝行に限らず、孝行は相手が生きている時にしか出来ません。
相手がこの世から居なくなってからでは、出来ません。
相手が居なくなって、どんなに墓前に花を添えてもそれは自己満足の自己完結にしか過ぎません。
例え、幽霊がこの世に居たとしても。
それは、確認のしようがないからなんです。
確認出来たとしても、僕だったら死んだ後に大切にしてくれるのは嬉しいけど...
そんな大切なら生きているうちにもっとして欲しかったと思っちゃいますね、、、
それに僕の場合、死んだらほっとかれて良いので生きている人に僕の分までしてあげて欲しいと思っちゃうタイプです。
話は続くのですが、この世は生きている者の為にある世界だと思うので死んだ者よりも今生きている者優先って感じなのでしょうか?
相手が生きているうちしか孝行は出来ません。
親孝行なんて正にそうで...
自分を生んでくれて育ててくれた両親(片親や親自体が存命でない場合もありますが)に感謝を伝えるには生きているうちにしか出来ないことです。
先程、先祖供養に似た話をしましたが...
あるかないか分からないものを信じるよりは、今確実にある。そこに居る人を大切にして欲しいんですね。
感謝は伝えることが出来る時にしか伝えることが出来ません。
例え、相手が存命でも二度と会わない人に感謝を伝えることは出来ません。
感謝を伝えるタイミングがある訳です。
別に感謝と言っても何かをしてあげることだけではなく、「ありがとう。」や顔を合わせに行くだけでも伝わることもあります。
何かをしてあげることだけが感謝ではないと思うからです。
反対に、いくら感謝する想いがあっても。
それを実際に形にしないと相手には伝わりません。
これって不思議で、感謝を言葉や形にしなくても分かるだろうって方多いんですけど。
おそらく伝わってないんだろうなと僕は感じています。
それで、親孝行なんですけど...
勘違いしていらっしゃる方が多いようなので、僕から伝えようと思うのですが。
一番の親孝行ってあなたが元気で楽しくしていることなんですね。
生きているとどうしても親に感謝を伝えることや親にプレゼントなどをすることが親孝行なんだと思い混んでしまいますが。
親はそんなこと必要ないと感じているのではないでしょうか?
親は自分が生んで育ててきた子に感謝されるよりもその子が笑って毎日を過ごしていてくれたら、それでいいんだって思ってると思います。
これって、人間関係でも言えることで...
感謝されたくて行動している人って、実は極少数で。
感謝されたい人は感謝される前提で行動するんですね。
例えば、助けたんだからありがとうくらい言えよとかですかね?
気持ちは分かります。
でも、よくよく考えると相手を助けたくて助けた訳なんですから。
その相手から感謝を期待するのではなく、もう危険な目に合わないでねとか次にあなたが困っている人を見かけたら出来る範囲でいいから助けてあげてねって期待するんだと思います。
これを恩送りというらしいです。
職場でもこれが当てはまってきて、仕事を教えてくれる方って感謝されたいより一日でも早くその人が一人前になれることの方が喜びなんですよね。
勿論、僕はなんでもそうですが教えてくれたり助けてくれたりする人に感謝をしてますよ。
でも、親孝行と一緒で「ありがとう!」の一言や感謝を態度で示すより、その人が早く一人前になることや笑っていることの方が結局は孝行になるんですよね。
親孝行や友だち孝行、職場での縦の繋がりの孝行は生きているうちにしか感謝を伝えることが出来ない。また、二度と会わない人にも感謝を伝えることは出来ない。
本当の孝行とは感謝を伝えることではなく、自分が一人前(自立して)になって幸せになること。
最後に、本当の親孝行(孝行全てに言えること)とは...
今、あなたが生きて(活きて)いること。
あなたが笑って幸せでいること。
それ自体が親ばかりでなく、皆の幸せになるのかと僕は思います。
もし、あなたがどうしても親に感謝を伝えたいのであれば。
「生んでくれてありがとう!」くらいでよろしいのではないでしょうか?